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第二阪神国道(国道43号)ダイニハンシンコクドウ(コクドウ43ゴウ)

多聞ビルより東を望む

第二阪神国道(国道43号)
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多聞ビルから東方向を見ています。写真中央、バスが走るのは現在の用海交差点付近。奥に見える白い建物は西宮市民病院です。西宮市立中央病院と改称後、林田町に移転した病院跡地は総合福祉センターになっています。
第二阪神国道(国道43号)は戦前から計画され、昭和21年決定の「復興都市計画街路」によって着手された「浜手幹線」が基になっています。「浜手幹線」は阪神間の大動脈としての役割を期待されました。戦後すぐ本格的に工事が進み、小さな建物が移転して幅員50mの空地が整地されてくると、人々は驚きを込めて「50m道路」と呼びました。
昭和28年には大阪市御堂筋本町-神戸市灘区岩屋南町間が「二級国道173号」として認定され、法律上正式に「第二阪神国道」が誕生します。昭和32年には建設省(当時)直轄工事となり、34年には「一級国道43号」に昇格しました。

DATA

資料番号282040100000722
制作年月日1954年
作成年代昭和20年代
地理情報  西宮市久保町2-1(大きな地図)
所蔵機関総務課
更新日2018年03月30日