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内外綿株式会社工場ナイガイメンカブシキガイシャコウジョウ

明治期の建物

内外綿株式会社工場
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この工場は明治28年「日本紡織株式会社」として誕生しました。日本紡織を設立したのは明治時代の関西を代表する実業家・松本重太郎と西宮の酒造家・和泉萬助。当時この一帯は綿畑が広がり、紡織工場がこの地に建てられたのもそのためだと考えられます。
しかし明治34年に始まる恐慌が影響し、日本紡織の営業は悪化していきます。そこで松本は自身の設立した百三十銀行から融資をすることで日本紡織の経営不振をしのごうとしますが、銀行の経営も悪化。明治37年ついに百三十銀行が支払い停止となったことで日本紡織も破たんします。明治38年に内外綿株式会社に工場が買収されてからは順調に業績を伸ばし、西宮の近代工業発展の原動力となったと言われています。
昭和18年に海軍の要請で船舶用ポンプを製造する日本水力工業株式会社の工場になり、そのまま終戦を迎えました。工場は戦災を免れ、戦後もレンガ造りの建物が西宮近代工業を牽引した当時の面影を残していました。工場は平成14年に尼崎に移転し、跡地は住宅地になっています。

DATA

資料番号282040100001084
制作年月日1967年
作成年代昭和40年代
地理情報  西宮市泉町1(大きな地図)
所蔵機関総務課
更新日2018年11月28日