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考古小録 第三冊コウコショウロク

考古小録 第三冊
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「考古小録」は、紅野芳雄が大正6年から昭和13年(1917~1938)にかけて、遺跡の踏査活動や考古学に関する覚書などを記録した、全3冊のノートである。日付を見出しとし、踏査した場所、遺跡の名称、そこで採集した遺物とその精巧な図などが、年代順に記されている。紅野芳雄(明治26年-昭和13年)は、のちに西宮市長に就いた紅野太郎の長男として西宮に生まれ、明治44年(1911)に茨木中学校を卒業後、浪速銀行西宮支店に勤務し、大正8年から昭和13年(1919~1938)まで酒造業の経営にあたった人物である。考古学に大きな関心を寄せ、吉井良尚・田沢金吾らとともに西宮史談会を設立、兵庫を中心に、京都・大阪・奈良の遺跡を踏査した。「考古小録」に記された遺跡の数は、50箇所以上にのぼる。その中には、紅野芳雄が最初の報告者となった遺跡が多く含まれており、西宮市域では越水山遺跡・仁川高台遺跡・仁川五ヶ山古墳群などがあげられる。また、開発により失われた遺跡や古墳も記録されており、当地域における遺跡の分布状況を知る上で、たいへん貴重な資料である。【参考文献】『「考古小録」及び関係品調査報告書(西宮市文化財資料第64号)』(西宮市教育委員会、2017年刊行)

DATA

資料番号282040200000209
作成者紅野芳雄
制作年月日昭和7年5月3日~昭和13年4月20日
資料の形状冊子
所蔵機関郷土資料館
更新日2020年02月05日