木島桜谷《新鵑》コノシマオウカク《シンケン》
木島桜谷(1877-1938) 京都市に生まれる。本名文治郎。京都市立商業学校を中退し、19歳のとき今尾景年の門に入って四条派を学ぶ。同時に山本谿愚について漢詩を学んだ。花鳥、山水、人物すべてをこなすほど画技の冴えをみせ、1907(明治40)年に文展が開設されると毎回受賞を重ねた。1913(大正2)年の第7回文展では景年にかわって審査員を務めている。1912(大正元)年京都市立美術工芸学校教論、1915(大正4)年京都市立絵画専門学校教授となった。円山四条派風の様式のうえに自己の工夫を加えて、平明で親しみのある画風をつくり、菊池契月とならんで文展が生んだ最初の花形作家といわれた。しかし晩年は詩書に親しんで、世間から遠ざかった。
DATA
資料番号 | 28204040154 |
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作成者 | 木島桜谷 |
制作年月日 | |
資料の形状 | 縦140.0×横50.3cm |
所蔵機関 | 西宮市大谷記念美術館 |
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更新日 | 2022年12月12日 |