【高精細】大井滝用水論所絵図オオイダキヨウスイロンショエズ
大井滝で取水された「大井滝用水」に関する論争の結果を描いた地図。慶安年間(1648~1652)の上ヶ原台地開発にともない、仁川大井滝の地点から上ヶ原台地に水が引かれることになった。この時、大井滝の上流で仁川にそそぐ五ヶ山の水を用水としてきた大市庄5ヶ村と上ヶ原新田の間で、仁川の水の分配が問題となった。争論の結果、大井滝で仁川の水をせき止め、大市庄5ヶ村と上ヶ原新田とが3:7の割合で分配することに決まった。しかし嘉永5年(1852)、大井滝用水をめぐる争論が再び起り、その結果、分水量等に関する協定がなされ、新池が造られた。本資料は、その際に論村間で取り交わされ、大坂町奉行所に提出された地図の写しである。新池築造前後の状況を照合できるよう、変更点が貼紙で示され、分水樋の寸法等が詳細に書き込まれている。なお、現関西学院裏にある上ヶ原用水の分水樋は、新池の築造に伴い新設されたもので、地図にもその内容を示す貼紙が見られる。裏面には、争論にかかわった村(段上村・上大市村・下大市村・上ヶ原新田・門戸村・神呪村・神尾村)の代表者、上ヶ原新田地主、仲裁人の署名のほか、明治時代における裁判所判事の閲覧印がある。
DATA
資料番号 | 282040200000197 |
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作成者 | 摂州武庫郡段上村百姓惣代吉右衛門ほか |
制作年月日 | 安政4年閏5月 |
資料群名 | |
文化財指定 | |
資料の形状 | 縦80.5㎝×横141.5cm |
所蔵機関 | 郷土資料館 |
更新日 | 2019年07月31日 |