にしのみやデジタルアーカイブ・セレクション

三都市宣言のころ

今年は文教住宅都市宣言から60年、平和都市宣言から40年、環境学習都市宣言から20年にあたる記念すべき年です。

この3つの宣言が出された1963(昭和38)年、1983(昭和58)年、2003(平成15)年のまちの様子をそれぞれ集めてみました。

  • お問い合わせ:西宮市総務課公文書・歴史資料チーム
1963(昭和38)年の様子 1
1963(昭和38)年の様子 1
第二阪神国道(国道43号)開通式
昭和38年1月6日、第二阪神国道(国道43号)が開通しました。この日開通したのは全30kmの内、尼崎-神戸間(一部を除く)の18.2km。尼崎市では打ち上げ花火が上がるなどたいへん華やかな通り初め式でした。

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1963(昭和38)年の様子 2
1963(昭和38)年の様子 2
地上を走る阪急電鉄神戸線
阪急電鉄夙川-御手洗川間高架化工事が始まる少し前、越水町付近を通過する阪急電車が写っています。昭和40年3月に着工した高架化工事は昭和42年3月に完了しました。この工事によって総延長約1.8kmの高架化が実現し、8カ所の踏切道が廃止されました。

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1963(昭和38)年の様子 3
1963(昭和38)年の様子 3
航空写真 御前浜上空
御前浜の西宮砲台そばにプールが設置されています。かつて海水浴シーズンは大賑わいの御前浜でしたが、昭和30年代に海水の汚染が進み、多くの市民は海水浴場にできた「マリンプール」で遊んだということです。

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1963(昭和38)年の様子 4
1963(昭和38)年の様子 4
航空写真 苦楽園二番町付近(ゲンコツホテル周辺)
写真中央付近にゲンコツホテルと呼ばれた円柱形が特徴的な洋館が写っています。大正から昭和初期ににぎわった苦楽園温泉街の一部に建てられましたが、実際にホテルとして使用されることはありませんでした。

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1983(昭和58)年の様子 1
1983(昭和58)年の様子 1
航空写真 阪急西宮北口駅付近
阪急電鉄西宮北口駅の中央部分にダイヤモンドクロスが見えています。神戸線と今津線が平面交差するダイヤモンドクロスは、西宮北口駅の名物として親しまれたが、駅改造工事に伴い昭和58年3月25日に姿を消しました。

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1983(昭和58)年の様子 2
1983(昭和58)年の様子 2
航空写真 西宮浜付近
西宮浜の埋立が進んでいます。西宮浜と陸地を結ぶ西宮大橋は昭和59年3月に開通しました。西宮浜の開発は、リゾート地計画「西宮マリナシティ計画」から、阪神・淡路大震災を経て「住宅を中心としたまちづくり」に変更することになります。

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1983(昭和58)年の様子 3
1983(昭和58)年の様子 3
国鉄福知山線 第二名塩トンネル工事(後の西宮名塩駅付近)
昭和30年代半ばから国鉄福知山線の通勤客が増え始め、複線電化工事の計画が持ち上がりました。従来とは別ルートを通ることから名塩地区に「新駅の設置を」との声が強まり、昭和57年に国鉄は新駅設置を承認しました。西宮名塩駅が開業するのは昭和61年11月1日のことです。

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2003(平成15)年の様子 1
2003(平成15)年の様子 1
阪神パーク閉園
昭和4年7月に浜甲子園で開園した「甲子園娯楽場」は、昭和7年に「阪神パーク」へと改称しました。昭和25年4月には場所を甲子園八番町に移して営業し、大人気の遊園地でしたが、平成15年3月に惜しまれつつも閉園となりました。現在は、ららぽーと甲子園になっています。

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2003(平成15)年の様子 2
2003(平成15)年の様子 2
みやっこキッズパーク開園
みやっこキッズパークは子育て総合センターの屋外施設として、平成15年11月に芦原町で開園しました。“自己責任で自由に遊ぶ”を原則に、丘や池で子どもたちが思い切り遊べて、田植えや稲刈りも体験できる人気の施設です。

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