にしのみやデジタルアーカイブ・セレクション

西宮の歴史のタネ  ~西宮神社~

今回は、子ども向けのセレクション第2弾として、西宮神社を取り上げます。

「えべっさん」として親しまれている「えびす神」をまつっている西宮神社ですが、江戸時代の絵図にもその様子がえがかれて、十日戎を始めとするさまざまなお祭りが今も行われています。

そんな西宮神社の様子を、むかしの絵図や写真をもとにみてみましょう。

  • お問い合わせ:西宮市総務課公文書・歴史資料チーム
えびすさまのお札
えびすさまのお札
西宮太神宮神符(にしのみやだいじんぐうしんぷ)
えびす神の姿を描いた「御神影札(おみえふだ)」というお札は西宮神社で配られたのが始まりとされ、「傀儡師(くぐつし)」とよばれる西宮神社にいた人形操りの集団たちによって広まりました。えびす神をかたどった人形をおどらせて全国を回り、人形あやつりを演じた後はお札を配って歩き、全国にえびす信仰を広めました。

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えびすかき〜人形あやつり〜
えびすかき〜人形あやつり〜
摂津名所図会(せっつめいしょずえ)
「摂津名所図会」は江戸時代のガイドブックのようなもので、この絵には「傀儡師(くぐつし)」がえがかれ、ネコのような人形をあやつる様子を、子どもたちが楽しそうにながめています。彼らが信仰した百太夫(ひゃくだゆう)神社は西宮神社の近くにあり、多くの傀儡師が住んでいた産所町には、今も傀儡師像があります。

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江戸時代のガイドブックにえがかれた西宮神社
江戸時代のガイドブックにえがかれた西宮神社
摂津名所図会
摂津名所図会には、西宮神社も大きく取り上げられています。「大国主西神社(おおくにぬしにしじんじゃ)」という古い名前が使われています。昭和20年の空襲(くうしゅう)で全焼しましたが、ほぼ元通りに復興(ふっこう)されています。

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広田神社と西宮神社
広田神社と西宮神社
広西両宮記(こうせいりょうぐうき)
江戸時代に田中信謹(たなかさねもり)という学者が書いた「広西両宮記」の付録「貞享3年広田西宮両宮絵図(じょうきょう3ねんひろたにしのみやりょうぐうえず)」には、北側に広田神社、海ぞいに西宮神社がえがかれ、アマテラスオオミカミ、スサノオノミコト、エビス神をまつった建物がえがかれています。※貞享3年は1686年。この図は西宮神社部分です。

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十日戎(とおかえびす)
十日戎(とおかえびす)
 
十日戎とは、漁業の神、商売はんじょうなどの神として有名な「七福神」のえびす様のお祭りで、親しみをこめて「えべっさん」と呼ばれています。 毎年1月10日前後の3日間で行われ、1月9日は「宵(よい)えびす」、10日は「本えびす」、11日は「残り福」と呼ばれています。 かざりがつけられたササや熊手は商売はんじょうのえんぎ物となっています。

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奉納(ほうのう)マグロ
奉納(ほうのう)マグロ
 
水産物おろし売りの組合から鯛と本マグロが奉納されるようになり、鯛は本殿にそなえられ、本マグロは大きいので拝殿(はいでん)にそなえられます。いつしかマグロに硬貨を貼り付けて願をかけるようになり、列ができるほどになりました。 ※令和3年、4年はコロナ禍のため、マグロは置かれていません。

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開門神事(かいもんしんじ)「福男選び」
開門神事(かいもんしんじ)「福男選び」
 
十日戎での「走り詣り(はしりまいり)」は江戸時代にも行われていましたが、「福男選び」は昭和15年、「一番詣り」の参拝者をたたえたのが始まりです。1月10日午前6時、表大門(赤門)の開門と同時に、本殿(ほんでん)まで約200mを全力疾走で駆け抜け、3着までが福男に選ばれます。 ※令和3年、4年はコロナ禍のため、福男選びは行われていません。

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おこしや祭り
おこしや祭り
 
おこしや祭は、鳴尾の漁師のあみにかかったえびす様を、西宮神社へお連れする途中、居眠りをされ起きないえびす様のおしりをひねって起こした、という伝説が元となっています。「ビワ」をお供えすることから「ビワまつり」と言われたり、この日を境にゆかたを着始めることから「ゆかたまつり」と呼ばれてもいます。

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年に一度のえびす市
年に一度のえびす市
中央商店街専門店まつり
えびす市は昭和32年から毎年、勤労感謝の日に「年に一度、お客さんにお礼をする“損を覚悟(かくご)”の誓文払い(せいもんばらい)」のキャッチフレーズで西宮神社境内で行われていました。「誓文払い」とは、昔から秋に西宮神社で行われている感謝のお祭り「誓文祭(せいもんさい)」にちなんだものです。

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