にしのみやデジタルアーカイブ・セレクション
新酒番船の浮世絵
江戸時代の年中行事「新酒番船」。上方から江戸へ、その年の新酒を運ぶ速さを競い、一番乗りの称号「惣一番」を目指した樽廻船のレース。その姿を、幕末に制作された3種の浮世絵で垣間見てみましょう。
- お問い合わせ:西宮市立郷土資料館(西宮市産業文化局文化財課)
- 惣一番や 江戸の花
- 新酒番舩祝図
- 江戸時代には、年に一度、上方で醸された新酒を、西宮・大坂から江戸に運ぶ船のレース「新酒番船」が催されました。18世紀前半から明治初年まで、樽廻船の時代を彩った年中行事は、芝居の題材になる程の盛り上がりをみせました。幕末の役者絵に描かれた扇の句「さきかけの 惣一番や 江戸の花」に、その熱気がうかがえます。
- レースの参加者
- 菱垣新綿番船川口出帆之図
- 新酒番船にエントリーできるのは、西宮と大坂の樽廻船問屋が仕建てた船と決まっていました。問屋が用意した樽廻船に新酒を積み込むと、いよいよレースの準備が整います。新酒番船と同様に新綿を運ぶ速さを競った「新綿番船」の出発を描いた浮世絵には、大坂の安治川岸に建ち並ぶ西宮樽廻船問屋の出店が描き込まれています。
- いざ、開幕
- 菱垣新綿番船川口出帆之図
- 新酒番船は、参加船へ出港証明書の「切手」を手渡すことで開幕します。図は新綿番船の切手渡しの場面ですが、浅黄色と白色の幕で区切られ、一段高く設けられた「切手場」に、赤いはっぴを着た乗組員が群がっています。我先に切手を受取ろうとするスタート時の騒動は、新酒番船にも共通するものだったと思われます。
- 浅瀬の力走
- 菱垣新綿番船川口出帆之図
- 切手を受取った乗組員は、沖で待つ樽廻船に届けるため、伝馬船で力走します。幕末生まれの宮っ子・吉井良秀氏が「証標を船数と同数の人員をして沖の樽船に届ける時の光景が一ツの偉観なので有る」と回想するように、この時、出発地の熱気は最高潮に達します。船員が乗り込むと、樽廻船は江戸に向けて出帆してゆきました。
- 陸はお祭り騒ぎ
- 菱垣新綿番船川口出帆之図
- 一番乗りの称号「惣一番」を勝ち取るため、緊褌の壮丁が競い合い、江戸に向かい出帆する様は、老若男女を楽しませました。新綿番船の出帆を描いた図には、川岸に集まる見物人や屋形船、船上で囃し立てる人々が活写されています。新酒番船の出発地・西宮も吉井氏曰く「諸方から集まる老若男女は海岸を埋めて」と盛況でした。
- 江戸入津の賑わい
- 新酒番船入津繁栄図
- ついに江戸に到着した樽廻船。品川沖に碇を下ろすと、すぐに伝馬船に乗り換えて隅田川を遡上し、新川を目指します。新川は下り酒を扱う問屋が集中する地域で、新酒番船のゴール地点でした。新酒番船入津後を描いた浮世絵には、水路を行き交う伝馬船、建ち並ぶ蔵、店先に積まれた酒樽がみられ、新川の活況が表れています。
- 惣一番のよろこび
- 新酒番船入津繁栄図
- 惣一番となった樽廻船の乗組員が、新酒番船の象徴である赤いはっぴを着、白地に赤で「惣一番」と記した幟を掲げ、三つ巴の紋が入った太鼓を叩きながら、新川の町を練り回っています。通常10日以上かかる航路を、最速で3日もかけず走破する過酷なレースを勝ち抜いた、よろこびが伝わってくるようです。
-
このページを印刷する - ▲ページの先頭へ