にしのみやデジタルアーカイブ・セレクション
西宮の歴史のタネ ~西宮・今津のお酒~
夏休みの特別企画、子ども向けのセレクションです。
西宮・今津の酒づくりは、江戸時代からさかんでした。西宮・今津をはじめ関西でつくられた酒は、船で江戸(今の東京)に運ばれ、江戸の人びとに飲まれました。関西の酒はとても品質が高いことで有名で、江戸では「下り酒(くだりざけ)」と呼ばれて人気がありました。
そんな西宮・今津と酒の歴史を、むかしの絵図や写真をもとにみてみましょう。
- お問い合わせ:西宮市総務課公文書・歴史資料チーム
- 江戸で人気の下り酒
- 見立番付 名酒づくし(江戸時代)
- 江戸時代の日本酒ランキングです。酒の名前やつくった場所と酒屋が、人気順で上から並んでいます。このランキングは江戸(今の東京)で読まれたものですが、ランクインしている酒のほとんどが伊丹・西宮・今津・灘(なだ)など、身近な場所でつくられました。関西の酒は江戸で飲まれ、人気をはくしていました。
- たるで運んだ西宮・今津のお酒
- 新撰銘酒寿語禄(江戸時代)
- 関西でつくられた酒は、たるに入れ、樽廻船(たるかいせん)という専用の船て江戸まで運びました。たるにはクッションとして植物をあんでつくったコモを巻き、そこに酒の名前などの印をつけました。たるの絵の中には、今も西宮でつくり続けられている酒の名前などがみえます。
- はやりのお酒
- 繁栄酒銘録(江戸時代)
- 江戸時代に流行した酒のブランドを一覧表にしたもので、この本には西宮と今津の蔵元(くらもと…酒の造り主)だけがのっています。「白鹿」など、今も残る蔵元ものっています。
- たるに押された目印
- 酒菰樽焼印雛形集(江戸時代)
- たるを保護するために巻かれたコモは広告の役割もはたしました。これはコモにおされたデザインを集めた本で、現在「宮水」と呼ばれている西宮でしかとれない貴重な水を使っていることが、しっかりとアピールされているものもあります。江戸時代末期、西宮の水が酒造りの仕込水(しこみみず)に適していることがわかりました。
- 江戸の人はお酒好き
- 新酒番船入津繁栄図(江戸時代)
- 江戸は100万人以上の人が住む、世界でも指折りの大都会でした。現在の西宮市の2倍以上の人が住んでいたことになります。船で江戸に運びこまれた西宮・今津の酒は、下り酒を専門にあつかう業者によってお店にならび、武士や町の人びとに飲まれました。江戸には、関西から、1年に100万たるもの酒が運ばれました。
- 一番船を祝って
- 新酒番舩祝図(江戸時代)
- 西宮から江戸まで、船で新酒を運ぶレースのことを「新酒番舩(船)(しんしゅばんぶね)」と呼びました。このレースは大人気で、一着の船の酒はえんぎがいいとされ高い値段高値が付き、船頭は「惣一番(そういちばん)」と名乗って市中を練り歩きました。当時人気だったかぶき役者をモデルに、お祝いの様子がえがかれています。
- 昔のお酒造り
- 日本山海名産図会 上(江戸時代)
- 各地の特産物を絵入りで案内した江戸時代(1799年)の事典。その時代の酒造りの様子が描かれています。作者の木村蒹兼葭堂(きむらけんかどう)は、伊丹での酒造りの作業を実際に見学したといわれています。原料の米を洗う場面に始まり、最後の酒をしぼる工程まで多くの人が働いています。この場面は米、こうじ、水などをはしごをかけた大おけで混ぜ合わせているところです。
- お酒造りの道具
- 酒造道具図彙
- 現在は電気を使って大量につくられている西宮・今津の酒ですが、かつては木でできた道具や石のおもりを使い、人の力でつくられていました。直径と深さが180㎝ほどもある、大人が入れるほどの大きなおけに、酒のもとになる、こうじ・米・水を入れ、はっこうさせて酒をつくりました。
- 西宮のお酒造りといえば宮水
- 宮水運搬車(昭和34(1959)年)
- 西宮での酒造りには、「宮水」は欠かせません。専用の井戸があるところは、井戸から水をくみ上げていましたが、無いところは「水屋」から水を買っていました。宮水をたるにつめ、船や牛車・馬車に乗せて運びました。
- お酒の入れ物
- ビンづめ作業(昭和35(1960)年)
- 酒の入れ物としてつかわれていたものは、昔はおけやとっくりなどでしたが、明治時代から大正時代にかけて、酒をビンにつめるようになりました。地元の会社がガラスのビンをつくりました。
- お酒造りの施設
- 双子蔵(昭和34(1959)年)
- 酒造りの多くの作業は蔵の中で行われます。蔵はそれぞれ蔵癖(くらぐせ)と呼ばれる個性があります。 写真の蔵は、「双子蔵(ふたごぐら)」とよばれ、機能的に大変優れた蔵でしたが、阪神淡路大震災で壊れてしまいました。
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