にしのみやデジタルアーカイブ・セレクション

にしのみやのアート

明治以来、住宅地、そして文教地区として発展してきた西宮には、多くの芸術家が住み、アトリエを構えてきました。西宮市大谷記念美術館は40年以上にわたり、こうした地元の芸術家を紹介し、作品を収蔵する取り組みを続けてきました。コレクションの中から、西宮の風景を描いた作品やゆかりの深い芸術家をご紹介します。

  • お問い合わせ:西宮市大谷記念美術館
西宮の街見ゆ
西宮の街見ゆ
大石輝一
住宅地の開発が進む昭和初期、丘の上の切通しから海を望んだ風景です。すでに住宅が密集している平地とは対照的に、切通しの周囲にはごつごつとした岩肌が見られます。作者は1925年に苦楽園口にアトリエを新築し、居を定めました。宅地化の波を静かに見つめながら、変化する街の姿をとらえています。

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大毎フェア・ランド
大毎フェア・ランド
今竹七郎
西宮には住宅とともに様々な娯楽施設も建設されました。大阪毎日新聞社が西宮北口に開いた「大毎フェア・ランド」もその一つです。ポスターにはサーカスなどのパビリオンが描かれ、当時の活気に満ちた様子がうかがえます。作者はメンソレータムのマークで知られる、グラフィックデザイナーで洋画家の今竹七郎です。

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盛夏(西宮津門戦災跡風景)
盛夏(西宮津門戦災跡風景)
河野通紀
作者は幼い頃より西宮に住み、27才で終戦を迎えました。西宮では終戦間際に大規模な空襲があり、作者もそれまでに描いてきた作品をすべて失ってしまいました。カンヴァスの代わりにベニヤ板を用いたこの作品には、空襲から一年経っても多くのがれきが残り、その上に夏草が生い茂る津門の様子が描かれています。

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万葉百景 武庫の海(展望)
万葉百景 武庫の海
青山政吉
鮮やかな紅葉と淡く霞んだ水平線が穏やかな調和を見せるこの水彩画は、全国を旅して日本の四季を描いた青山政吉の作品です。1970年代末のモダンな街並みの向こうに、古代に通じる風景美を見出そうとしているかのようです。「万葉百景」は作者の代表作の一つで、万葉集の古歌を題材にした百点組みの連作です。

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Seed Project from Hyogo
Seed Project from Hyogo
太田三郎
本作は、土地土地で採集した植物の種子を和紙にはさんで保存し、切手シートの形にした版画作品です。2000年に当館で展覧会を開くにあたって、作者が周辺をフィールドワークして制作しました。ここに保存された種子は、「西宮市中浜町」という土地の記憶を封じ込めながら、今なお発芽する可能性を秘めています。

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女三態之図
女三態之図
山下摩起
作者は西洋絵画の手法を日本画に取り入れ、独自の画境を開いた日本画家です。1916年に西宮に移り住み、数々の大作をこの地で制作しました。幅2.5mを超える本作は、西宮市内の所蔵者が長年保管していたものです。江戸時代の風俗を思わせる懐古的な主題を、勢いのある筆致で華やかに描いています。

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ピヤノを弾く娘
ピヤノを弾く娘
伊藤慶之助
1938年の作品です。作者はこの年、西宮市神楽町に居を構えました。和装にピアノという取り合わせとともに、タペストリーや絨毯で彩られた洋室が、当時のモダンな生活スタイルを伝えています。作者自身も渡欧の経験を生かして西宮の美術教育に尽力し、1961年の第1回市民文化賞を受賞しています。

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砂の聖書
砂の聖書
荒木高子
1985年に西宮市立中央図書館の開館を記念して市が購入し、長らく同館ロビーに展示されていた作品です。西宮に生まれた作者は、40才を過ぎてから陶芸に取り組み、深い思想と精神性をたたえた作品が国内外で高く評価されました。六甲山の砂を用いた本作は、風化する物質と不変の真理を象徴しています。

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作品
作品
津高和一
力強い線が躍動するこの作品は、戦後の前衛美術をリードした抽象画家、津高和一の最後の作品として知られています。作者は1995年の阪神大震災で亡くなりましたが、倒壊した高木西町の自宅のがれきの下から発見されたのが本作です。同年予定していた当館での個展のために制作されたと考えられています。

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いとけなきものの舟
いとけなきものの舟
山口牧生
2001年に当館で個展を開催してまもなく、作者は亡くなりました。能勢の黒御影石を用いた本作は、現在当館の庭園に設置されています。「いとけない」とは小さい、幼いという意味で、舟はまた棺でもあると作者は語っていました。石を打つことから始まった人類の歴史、そして人と自然の営みを考えさせる作品です。

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