にしのみやデジタルアーカイブ・セレクション

西宮の歴史のタネ ~にしのみやの道~

今回は、子ども向けのセレクション第4弾として、西宮の道を取り上げます。

西宮にはたくさんの道路が通っており、交通の要所となっています。これらの道路はいつごろからできたのでしょうか。その成り立ちをたどってみましょう。

  • お問い合わせ:西宮市総務課公文書・歴史資料チーム
江戸時代のようす
江戸時代のようす
新改正 摂津国名所旧跡細見大絵図(しんかいせい せっつのくにめいしょきゅうせきさいけんおおえず)
江戸時代、西宮には京都と下関(山口県)をつなぐ西国街道と呼ばれる道や、大阪、尼崎からつながる中国街道と呼ばれる道が通っていました。それらが合流する西宮は宿場として整備され、現在の旅館のようなものが建ちならんでいました。 (西国街道や中国街道の呼び方、位置については諸説あります。)

>画像の詳細

江戸時代の景色
江戸時代の景色
西国名所之内三 西の宮(さいごくめいしょのうちさん にしのみや)
幕末の浮世絵師、五雲亭貞秀による西国の名所25ヶ所のうちの「西宮」です。貞秀は鳥瞰図(鳥が空から見下ろしたような画面)の風景画を描くのが得意で、甲山や西宮神社,武庫川などが描かれています。

>画像の詳細

大正時代のようす
大正時代のようす
武庫郡 西宮町全図(むこぐん にしのみやちょうぜんず)
大正時代の西宮の地図です。当時はまだ「西宮町」でした。1925(大正14年)に「西宮市」となった後、次々とまわりの町村と合併し、1951(昭和26)年に現在の西宮市となりました。

>画像の詳細

国道2号 工事中
国道2号 工事中
1916(大正15)年 松下町あたりから西向き
道はばがせまい旧国道を広げるための工事の様子です。同じ年で元号がかわった昭和元年12月25日、阪神間の東西をむすぶ主要な道路として、道はばが27mの阪神国道(国道2号)が開通しました。 ちなみに昭和天皇が即位したのは1926年12月25日で、昭和元年は7日間しかありません。

>画像の詳細

国道2号を走る阪神電鉄国道線
国道2号を走る阪神電鉄国道線
1974(昭和49)年 上甲子園交差点あたり
国道2号には1927(昭和2)年から1974(昭和49)年まで神戸と大阪をむすぶ路面電車が走っており、市民の足として活躍していました。上甲子園交差点では、浜甲子園の方に走る甲子園線(路面電車)に乗換えができました。自動車が普及したことで姿を消すことになりました。

>画像の詳細

国道43号の開通式
国道43号の開通式
1963(昭和38)年 浜脇町あたりから東向き
第二次世界大戦前から整備が計画されていた第二阪神国道(国道43号)は、戦後すぐに本格的な工事が始まり、1963(昭和38)年に尼崎-神戸間が開通しました。開通式では打ち上げ花火やくす玉割りなどが行われた後、約350台の車が尼崎から神戸まで走り初めをしました。

>画像の詳細

名神高速道路 建設中
名神高速道路 建設中
1964(昭和38)年 田代町付近から東向き
名神高速道路は国内初の自動車専用高速道路です。市内では1961(昭和36)年から工事が始まり、1964(昭和39)年に西宮-尼崎間が、1965(昭和40)年には小牧(愛知県)-西宮間が開通しました。1969(昭和44)年には東名高速道路が開通するなど、本格的な高速道路の時代となっていきました。真ん中上部には瓦木小学校が写っています。

>画像の詳細

阪神高速道路建設中
阪神高速道路建設中
1969(昭和44)年 川西町付近から西向き
1960年代に自動車が増え、市民生活に悪影響が出てきたことなどにより、日本全国で本格的に高速道路を造ることになりました。 阪神高速道路は国道43号の上に造ることになり、大阪万博開催の1ヶ月前の1970(昭和45)年2月に、神戸(月見山)から西宮まで開通し、名神高速道路とも接続されました。

>画像の詳細

国道171号 工事中
国道171号 工事中
1969(昭和44)年 中央運動公園あたり
1960年代に自動車が増えたことにより、国道171号も道はばを広くする必要がありました。1970(昭和45)年の大阪万博開催で神戸方面からの交通量が急増することに備え、昭和44年から本格的に工事が始まりました。開通したのは万博開幕の直前(昭和45年3月11日)でした。

>画像の詳細

中津浜線立体交差通り初め式
中津浜線立体交差通り初め式
1971(昭和46)年 陸橋の上から南向き
国鉄(現JR)でさえぎられていた国道2号と山手幹線をつなげて南北の交通をスムーズにするため、1968(昭和43)年に中津浜線国鉄陸橋工事が始まり、1971(昭和46)年に完成しました。通り初め式では神主さんを先頭に陸橋をわたっています。

>画像の詳細

山手幹線
山手幹線
1971(昭和47)年 西宮球場あたり
山手幹線は尼崎市から神戸市を結ぶ道路ですが、長い間未開通のところがたくさんあり、とぎれとぎれな道路でした。 阪神・淡路大震災の時、全部が開通していなかったことが防災面で注目され工事が進むようになり、2010(平成22)年に全線開通しました。

>画像の詳細

印刷
このページを印刷する